恋と夜景とお芝居と第5章波音

二人は、暫く無言で波際を歩いた。

麗は、先ほど砂浜を駆けれなくて悔しがっていたときとは別人のように、やや伏し目がちに、健一と肩を並べていた。

ねえ、あそこに座らない

麗が、砂浜を少し上がったところにある、ベンチを指差した。

健一が無言で頷き、二人はそこへ向かった。

ベンチに座った二人は、黙って波の音に耳を傾けた。

そろそろ、日が落ちかけている。

青みがかった海も、迫りくる夜の帳に覆われて、鈍色に変わりつつあった。

波の音と同時に、麗の息遣いが聞こえてくる。

健一は、これまでにない幸福感に包まれていた。

できることなら、いつまでもこうしていたかった。

今日は、ほんとうにありがとう、うちの我侭に付き合ってくれて。とても楽しかった。こんなに楽しい一日を過ごしたのは久しぶりよ

静寂を破って、麗が口を開いた。

視線は海に向けたままだ。

楽しかったんは俺も一緒や。俺の方こそ、礼を言いたいわ

よかった。健がどう思ってるのか心配だったの。つまらなかったらどうしようって

健一は返事の代わりに、膝に置いている麗の手に、自分の手を重ねた。

麗が、弾かれたように健一を見た。

そのまま、二人の視線が絡み合う。

自然な仕草で、麗が瞳を閉じた。

その自然さが、健一からためらいを取り除いた。

両手で優しく麗の頬を包むと、そのまま唇を重ねる。

麗の両腕が健一の背中に回り、その腕に強い力が込められた。

どれくらい、そうしていただろう。

やがて唇を離した健一は、麗の瞳から一滴の雫が流れ落ちるのを見た。

健一が両の親指で、麗の涙を拭う。

そして、再び両手で、優しく麗の頬を包んだ。

健一の手に、麗が手を重ねてくる。

それから、そっと健一の右手を離すと、その手を、愛おしそうに両手で包み込んだ。

ごめんなさい、泣いたりして。凄く嬉しかったの。人って、嬉しいときでも涙が出るって、ほんまなんやね

麗の言葉に健一の涙腺も緩みかけたが、何とか堪えて麗の肩を優しく抱き、自分に引き寄せた。

健一に引き寄せられるまま、麗が、健一の肩に頭をもたせかけた。

わたしね、初めて健と出会ったときから、こうなることを望んでいたような気がするの

甘えた声を出しながら、麗は肩を抱いた健一の手に自分の手を重ねた。

俺もや

嬉しい

麗が、潤んだ瞳で健一を見つめた。

最初にあんなきついこと言ってしまったから、てっきり嫌われてるかと思ってたの

何でやろ。いきなりあんなこと言われても、全然、腹立たんかったな

健一の口調は優しい。

麗が、健一の胸に顔を埋めた。

みるみる、健一の胸が濡れていく。

アホやね、ほんまに。今日のうちはどうかしてるわ。こんなこと初めてや

健一の胸に顔を埋めたまま、掠れた声で麗が言う。

健一は黙って、麗の背中を優しくさすった。

うちにあんなことを言われても、健は嫌な顔ひとつせずに煙草を消してくれたし、うちらのこと心配してくれたでしょ。多分、あのときに好きになってしまったんやと思うわ

顔を上げた麗が、泣き笑いの表情で言った。

俺も、一目見たときから、麗を好きになっとったんやろな。あれから、麗のことが頭から離れへんかったからな

麗が、健一にしがみついた。

麗の鼓動が、健一の胸に響いてくる。

麗の胸は、早いリズムを刻んでいた。

健一の鼓動も、麗に負けないくらい早いリズムを刻んでいた。

もう波音は聞こえず、二人の鼓動だけが聞こえていた。

そのまま二人の鼓動は同じリズムとなって、一つに溶け込んでいった。

今は、二人の間に言葉はいらなかった。

お互いの鼓動で会話をしていた。

麗の熱い想いが、健一の胸に伝わってくる。

健一も、熱い想いを麗に伝えていた。

最初から

恋と夜景とお芝居と現在連載中

ふとしたことから知り合った、中堅の会社に勤める健一と、売れない劇団員の麗の、恋の行方は?

絆猫が変えてくれた人生

会社が倒産し、自棄になっていた男の前に現れた一匹の黒い仔猫。

無二の友との出会い、予期せぬ人との再会。

その仔猫を拾ったことから、男の人生は変わっていった。

小さな命が織りなす、男の成長と再生の物語。

プリティドール

奥さんが、元のトップシークレットに属する、ブロンド美人の殺し屋。

旦那は、冴えない正真正銘、日本の民間人。

そんな凸凹コンビが、が開発中に盗まれた、人類をも滅ぼしかねない物の奪還に動く。

ロシア最凶の女戦士と、凶悪な犯罪組織の守り神。

世界の三凶と呼ばれて、裏の世界で恐れられている三人が激突する。

果たして、勝者は誰か?

奪われた物は誰の手に?

短編小説夢

短編小説ある夏の日

短編小説因果

中編小説人生は一度きり

20行ショート小説集

僕の好きな一冊シリーズ

魔法の言葉集